小中学校でのプログラミング教育は失敗しか見えない件
小中学校でのプログラミング教育がにわけに話題になってきた。
実は平成24年度から新学習指導要領では中学校からプログラミングが必修項目に入っている。国全体としてIT技術者、プログラマーを育てるという方針は間違ってはいない。何故なら資源のない国である日本で利益を最大化するためには「無」から「有」を生み出すことの出来るプログラムは非常に理にかなっているからだ。
しかし、ここで心配なのは教育現場である。ITやプログラミング教育を声高に叫んでみたところで現場の先生にはノウハウが無い。ましてや専門的にプログラムの知識を持っている人など一握りだろう。
Rubyの生みの親であるまつもとひろゆきさんが以下のような記事を書いていた。
学校をプログラミング教育の現場にするためには、当然のことながらプログラミングを教える教師が必要です。しかし、現在の小学校・中学校の教員でプログラミングの能力を持つ人はごく少数でしょう。もちろん、教科書通りに教えることができる人は短期間で用意できるかもしれませんが、それでは子供たちにプログラミングに前向きな気持ちを伝えることは困難でしょう。中学生時代にプログラミングをはじめた私自身も含めて、若い頃からプログラミングに「はまった」人たちは、結局、コンピュータを使いこなすのが楽しいからこの道に進んだようなもので、教科書に書いてあるから、あるいは学校の授業だからという理由でプログラミングをはじめた人など見たことがありません。プログラミングを教えるというのであれば、少なくとも教える人はプログラミングの楽しさを自覚している人でなければ成果をあげられないと思いますし、そのような人をそれぞれの学校に配備するのは大変な困難ではないかと思います。
全くもってその通りだと思う。プログラムをたいしてやったことのない俄仕込みの先生から果たして「プログラム」の楽しさを生徒に教えられるのだろうか?
適正に「評価をする」ことも困難がつきまとう。
人によって出来栄えが10倍、100倍あるいは1000倍も違うようなものを学校の成績としてどのように評価したらよいのか途方にくれます。
ある種創造性を伴った「芸術作品」のようなプログラムを学校の先生が適切に評価 できるのか疑問である。
そういった中で下記の記事は非常に興味深い。
表現のためのプログラミング、という教え方 - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)
「プログラム」はあくまで表現するための「道具」であるという考え方は新しい。今のプログラミング教育にはこの視点が欠けているのではあるまいか。私はアプリケーションやソフトというものは言わば「総合芸術作品」だと思っている。道具だけ教えたところで素晴らしいアプリやツールが生まれるわけではないのだ。
今のままのプログラミング教育では日本のソフトウェア産業は大きく育たないだろう。